2020年、心のバリアフリー

コモンズ投信には、ファンドの運用からコモンズ投信に得られる信託報酬の1%相当を寄付するしくみがあります。ファンドの1つ「ザ・2020ビジョン」では「ポイント」という寄付プログラムを行っています。

このプログラムで応援しているのが、障害者スポーツ。そして第1回(ファンドの第2期第3期)の応援先となったのが「NPO法人日本視覚障害者柔道連盟」です。
2016年12月21日にお2人の選手をゲストにお呼びして、トークイベントを行いました。

NPO法人日本視覚障害者柔道連盟初瀬勇輔さんと2016年リオ・パラリンピック銀メダリストである廣瀬誠さん。

まずは、初瀬さんに、視覚障害者柔道の競技の基本知識を教えていただきました。

視覚障害者柔道の特徴は、主に2つあります。

1つ目は、まず両者が組み合ってから、主審の「はじめ」の声で競技がスタートします。
そして2つ目は、試合中に両者が離れたら、主審が「まて」を宣告し開始位置に戻って、また組んでからはじめます。

この2つ以外は、技も試合時間も、健常者柔道とほぼ一緒のルールです。また、ほとんどの障害者スポーツが障害の重さで区分されているなか、柔道においては、体重別で区分されているのも特徴の1つです。

さらに国際クラス分けでは、IBSAの規定から、3つに区分されています。「B1」は全盲の選手で、光覚なしから光覚まで。どの距離や方角からでも手の形が認知できないくらいの視覚障害を持つクラスです。「B2」は、視力0.03まで、もしくは視野が5度以内の視覚障害を持つクラス。「B3」は、視力0.04から0.1まで、もしくは視野が20度以内の視覚障害を持つクラスとあります。

競技の基礎知識をお聞きしたあとは、ゲストお2人の他己紹介をしてただだきました。

まずは、廣瀬さんから初瀬さんのご紹介からをお聞きします。

廣瀬さん(以下、):「柔道家の他に、彼はNPO法人 日本視覚障害者柔道連盟の理事もやっています。彼も途中で視覚障害になったんですが、僕も彼も柔道に出会って、”視覚障害になっても柔道はできる、人生は捨てたもんじゃない”と希望を見出しました」

次は、初瀬さんに廣瀬さんのご紹介をしていただきました。

初瀬さん(以下、):「2006年フランス大会で初めて会ったのですが、当初、誠さん(廣瀬さん)は柔道が弱かったんです。高校時代は地区大会で1回も勝てなかったのに、毎年毎年強くなっていく、まさに努力の人。努力の大切さや、継続する美しさを誠さんから学びましたね。

また、視覚障害の世界に入って何もわからなかったときに、楽しいことを教えてくれたのが誠さん。視覚障害の自分をポジティブに捉えられるようになりました」

お互いに良い刺激を与え合うライバルであり、先輩・後輩であるお2人。お2人の仲の良さを感じる他己紹介でした。続いて質問タイムです。

廣瀬選手にズバリ聞きます、今回リオ・パラリンピックで銀メダルを獲れると思っていましたか?

:「メダルに手が届くか、正直自信はなかったですね。僕は世界ランキング3位なんですけれども、実はパラリンピックの出場枠は、前回のパラリンピックから今回のリオまで、重要な大会が何回かあるのですが、それぞれの勝敗上位からポイントが付与されて、ポイントが多い国から枠が優位になってきます。

なので、最初に優勝して、そのあとの大会に出ないという選手もいるので、ランキングが必ずしも実力を反映しているわけではないんです。対戦競技なので、相性が悪い選手に当たる可能性もあるなか、今回はたまたま運が良かったんだと思います」

しんどいなと思う試合とか、勝負どころという試合はありましたか?

:「初戦は、ランキング12位のモンゴルの若い選手だったんですが厳しかった。僕たちは、だいたい組めば強いかどうかわかるんですよね。周りにいる人にも、「よく勝てたね」と言われたくらい、あの試合が勝負の分かれ目でした。さらに、馬越さんの応援があったから今回銀メダルを獲れたんだと思います(笑)」

馬越:「言わせてしまいましたね(笑) あと、廣瀬選手の試合の1つの特徴が”お父さん頑張ってー!”というご家族の声ですよね」

:「6歳と4歳と2歳の娘をリオまで連れて行って、ここで負けられるか!と思ったことも勝因かもしれません(笑)」

今回のリオでは、困ったことはありましたか?

:「行く前は、家族を連れて行くのが少し心配だったんですが、選手村もきちんとした設備でしたし、家族に聞いたら街もスタッフや地元の方が親切で、現地では困ったことはなかったです。強いて言うなれば、初瀬さんがいなかったことですかね(笑)」

:「それは予選で負けたからです(笑)」

馬越:「(笑)リオパラリンピックはとても良い雰囲気でしたよね。ボランティアの方もアットホームな雰囲気で、日本もあんな雰囲気を作れたら良いなと思いますよね。」

:「はい。ボランティアの方が陽気で明るかったですね。2020年、日本のオリンピックでは、ハード面とハート面が大事だと思います。日本でやって良かったなって思ってほしいですよね」

これは発見だった!と思うことはありますか?

:「リオ・オリンピック期間中は、選手村の中でずっと過ごしていました。選手村の中に食堂があって、その食堂のサーモンがおいしかったことです(笑) 僕は、サーモンが大好物なんです(笑)」

初瀬さん、全国大会で優勝されましたが、ズバリ得意技はなんですか?

:「得意技は背負い投げと小内刈りと寝技。以前は、這って逃げるほど寝技が嫌いだったのが、2007年からブラジリアン柔術を習って得意になりました。ブラジリアン柔術は視覚障害者柔道に似ているところがあって、やる人が増えてきています。誠さんもやっていますよね」

:「2017年以降ルールが変わるのですが、寝技の比率も高まると思っています」

初瀬選手が期待している選手はいますか?

:「パラリンピックで3連覇した藤本 聰選手。そして若くて練習熱心な斉藤大起選手にも、とても期待しています。あとは、永井崇匡選手。今後日本を引っ張っていく選手だと思います」

:「永井選手は、全盲であるB1の選手。全く見えない状態で学ぶのは大変なことなんですよね。障害者柔道は、選手人口が少ないのが課題なので、若い選手を応援していきたいですね」

話は変わりますが、初瀬さんの普段のお仕事はなんですか?

:「僕は2011年に、自分で会社を立ち上げました。株式会社ユニバーサルスタイルという会社で、企業と障害者のマッチング事業をやっています。障害者の人材紹介、コンサルティングをやっています。今月で6期目。選手の企業就職の支援もやっていて、夫婦でリオ・パラリンピックに出場した廣瀬悠選手、順子選手も僕の会社から就職しました」

視覚障害柔道の方の練習環境は、どのようなものですか?お仕事をしながら練習していますか?

:「盲学校の先生が非常に多いです。制度が使えて休みが取りやすいので、仕事と練習の両立が取りやすい。どの競技もそうなんですが、練習時間をたくさん取らなければ、世界で勝てなくなってきてしまっていますね。

パラリンピックのレベルがものすごく高くなってきているので、今は練習だけしている人がほとんどです。朝起きて午前中トレーニングして、午後は練習をやって、その日は終わり。月に1回だけ出社するという人も、少しずつ増えてきています。これは、2020年まで続く傾向で、パラリンピック選手もオリンピック選手と同じように就職する人が8〜9割だと思います」
メダルの中に小さな玉が入っていて、その玉の数で音が異なるので、視覚障害者の方にも何色のメダルかわかるようになっています。こちらはリオの大会が初めての試み。

最後に、ゲストのお2人と伊井社長から、2020年までの意気込みについてお話しいただきました。

廣瀬さん
「パラリンピックのステイタスが上がって、オリンピックと同様の認知度になったように感じています。スポーツを窓口にして、障害者理解も進んだ気がします。2020年以降も、皆さんのご支援のもと、もっとパラリンピックが発展していくと思うんですね。今後、健常者も障害者も同じ場に生きて行く、”ノーマライゼイション” が進んでいくと良いなと思います。
パラリンピックに出ることで、不便だし不幸だと思っていた障害への意識が変わりました。今後は、後輩の人たちにもそう思ってもらいたいですし、恩返しの意味も込めて、引退した後も、彼らの競技力を高められるようサポートしていきたいです」

初瀬さん
「2020年は、オリンピックもパラリンピックもあり、日本中や世界中が盛り上がる年。ただ、それだけで終わらせてはもったいなくて、僕たちが社会や世界を変えるきっかけになりうると思うんですね。そのきっかけにどうすればなれるか。障害者スポーツが、日本の文化として根付くべきだし、障害者の人が胸を張って歩ける社会にしていかなければならないと思うんです。

2020年がスタート地点。10年、20年経った時に、あの時オリンピックとパラリンピックを東京でやって良かったよねって言えるようになっていかなければならないですよね。そのために今から行動したいです。僕は、幸運にも障害者柔道に出会えましたが、そういう風に障害者の人がスムーズにスポーツや仕事に出会うことができる社会にしていかなければいけない。

幸運ではなく、みんながそうであれるように選択肢をつくるために会社を立ち上げました。2020年もそういった意味で、良いきっかけにしていけたらと思っています。そのためにもみなさんの支援が必要です。その恩返しとして、メダルを獲りにいきますので、どうぞこれからもよろしくお願いいたします」

伊井
「2020年が、共生できる社会を日本から発信できる機会になります。そういったことをニュースで聞くのではなく、こういった場で身近に体感していただきたいと思い、今回このような場を企画しました。私は、”心のバリアフリー”という言葉が好きなのですが、2020年に向けて日本が共生できる社会を迎えられるように、みなさんで一緒に頑張っていきましょう。」

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日本発祥である柔道は、他のスポーツとは違い、障害者も健常者も一緒にできるスポーツ。柔道はまさに、さまざまな人を繋げる ”架け橋” となるスポーツとも言えるかもしれません。2020年に向けて、さらに障害者柔道が盛り上がり、障害者理解がより深まることへの希望を感じる夜となりました。