歴史のクイズ: 積立の意

おはようございます。渋澤健です。三連休の前半は天気がすっきりしなかったですが、今日の最終日は晴れている各地が多いと思います。暑くなりそうですね。どうぞご自愛ください。

さて、お休みを利用して、ちょっと頭の体操をしてみましょう。歴史のクイズです。

①この人物は誰でしょう・・・・



答え:松平定信です。江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たり、徳川御三家の推挙を受けて、少年期の第11代将軍・徳川家斉のもとで老中を務めました。

②では、松平定信が実行したのは何でしょう・・・・

答え:「寛政の改革」です。17871793年に行われた幕政改革で「享保の改革」、「天保の改革」とあわせて三大改革といわれています。

昔、どこかで歴史の勉強で学んだ記憶が蘇ってきましたか?

時代背景には浅間山噴火から東北地方を中心とした天明の大飢饉などで社会的混乱を招き、賄賂など役員の乱れがあったようです。改革のきっかけは、どの時代でも似ているかもしれないですね。

定信は緊縮財政による幕府財政の安定化を目指し、それまでの重商主義政策を抑制しました。役人だけでなく庶民にまで倹約を強要し、極端な思想統制令によって経済・文化は停滞されたといわれています。改革としては、あまり成果をあげることができなかったようですね。

しかしながら、このような人物でしたが、「日本の資本主義の父」といわれる渋沢栄一は、『論語と算盤』で松平定信(楽翁公)のことを「この御方は天才を有っておられて、しかしてある点には、よほど感情の強い性質を有っておられたが、これと同時に大層精神修養に力を尽くされ、そして 遂に楽翁公の楽翁公たる人格を、築き上げられたものと見えるのである」と高く評価しています。

③渋沢栄一の思想と相容れないと思われる改革を行った松平定信を、なぜ栄一は評価したのでしょう。

これは、かなり上級編ですね。

答え:「寛政の改革」で施行された「七分積金」ではないかと思います。

七分積金は、町々が積み立てた救荒基金で、町入用の経費を節約した四万両の七割に、幕府からの1万両を加えて基金にした。町入用の経費は、地主が負担し、木戸番銭・手桶・水桶・梯子費用、上水樋・枡の修繕費、道繕・橋掛け替え修繕・下水浚い・付け替えなどに使われた。ちなみに、この制度はその後の幕府の財政難にも関わらず厳格に運用されて明治維新の際には総額で170万両の余剰があった。この資金は東京市に接収されて学校の建設や近代的な道路整備などのインフラストラクチャー事業にあてられたという。(出典:wikipedia

明治時代に入り、七分積金(営繕会議所共有金)の管理を任されていたのが渋沢栄一でした。そして、この共有金を財源として活用して創立されたのが「養育院」です。現在の福祉事業の原点となる養育院は、困窮者、病者、孤児、老人、障害者の保護施設として東京府知事の大久保忠寛の立案により創立されました。

栄一が日本初の銀行である第一国立銀行を設立した3年後の明治9年(1876)に東京府養育院事務長に就任しました。後に院長として没昭和6年(1931)に亡くなるまで、栄一の数多い役職の中で一番長く勤めていただけに、養育院への思い入れが深かったようです。

未来へつなげる積立金という智慧。後になってから、評価されるものかもしれません。でも、後になってからは積立できません。時間を過去に戻すことは、いくらお金を払ってもできないことですから。

金融政策・財政政策というブラックホールに頼るだけではなく、積み立てという未来志向の意識は本当に大切ですね。そして、未来は「今」から始まるという意識も。


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